【一次試験対策+ゆるわだ】経済学っておもしろい by なつ

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はじめに

みなさんこんにちは、なつです!
すっきりしない天気が続いていますがいかがお過ごしでしょうか??わたしは週末に洗濯物を干せないストレスが地味に溜まってきています笑
そんな(?)なか、本日と次回は一次試験の科目のうち経済学・経済政策を取り上げたいと思います!ところでみなさまは経済学・経済政策にはどのようなイメージをもっているでしょうか??

訳の分からないグラフがたくさん出てくるし、取っつきにくい…
経済学部卒だから知ってるつもりだったけど抜け落ちててイマイチ。。。


たしかに現代の経済のイメージとは違う部分も多いからしっくりこない科目のひとつではあるよね。
この記事では少しでも経済学に親しみをもってもらえるよう、いつもとはちょっと違った切り口でおさらいをしてみたいと思います!
お知らせ:合格カフェを開催します!☕
本題に入る前に大切な大切なお知らせです!
16代目イベント第2弾、その名も「合格カフェ」の開催が決定しました!!!!

第1弾春セミナーにおいて、「もう少し質問したかったなぁ」という方や「春セミナーには参加できなかったけど受験に向けて不安を解消したいなぁ」なんて方にピッタリです。
初のリアル開催の日程もあり、16代目一同みなさまにお会いできるのを楽しみにしております♪
6月7日(土)にアップする記事で詳細をお伝えしますのでしばしお待ちください。
経済学・経済政策という科目について
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中小企業診断士の試験における経済学・経済政策の位置づけについて令和7年度中小企業診断士第1次試験案内の内容を貼り付けしてみました。
1次試験初日の1科目目!緊張もあるので力んでしまうかもしれませんが、無難に突破していきたい科目ですね。
かくいうわたしも雰囲気に飲まれてガチガチに緊張していました💦
1.経済学・経済政策
(科目設置の目的)
一般社団法人 中小企業診断士協会連合会HPより
企業経営において、基本的なマクロ経済指標の動きを理解し、為替相場、国際収支、雇用・物価動向等を的確に把握することは、経営上の意思決定を行う際の基本である。また、経営戦略やマーケティング活動の成果を高め、他方で積極的な財務戦略を展開していくためには、ミクロ経済学の知識を身につけることも必要である。このため、経済学の主要理論及びそれに基づく経済政策について、以下の内容を中心に知識を判定する。
水色マーカーの箇所にご注目ください。
企業経営理論と少し似ているかもしれませんが、経営者と一緒に方針を検討していく際に経済学の原理原則について知っておくのは最低限求められる素養であるということかと思います。
また、中小企業の経営者が経済学に精通しているかは怪しいところなので、噛み砕いてポイントを説明できることが合格後には求められるかもしれません。
因みに経済学・経済政策の科目合格率は以下の通りです。
他の科目に比べて低決して低いという訳ではないですが、R4から10%台に落ち込んでいますね。1問4点かつマクロ経済・ミクロ経済から偏りもあまりないため、理解していない論点を突かれるもしくはど忘れしてしまうと大きく崩れてしまうのかもしれません。また、暗記だけでは乗り切れず根底を理解している必要があるとういのも一因なのかな、と個人的には考えています。
R1 | R2 | R3 | R4 | R5 | R6 | 平均 | |
経済学・経済政策(※) | 25.8% | 23.5% | 21.1% | 10.5% | 13.1% | 14.3% | 18.1% |
経済学の偉人たち
よく分からない見た目は直線の曲線を動かしながら掴みどころのないことをつらつらと述べているように思える経済学ですが、偉人たちがそれぞれ当時の情勢に直面し、問題意識を抱えながら「一体どうすれば社会全体を豊かに出来るだろう」と一生懸命考えを巡らせた結晶が詰め込まれています。
意外に人間らしい憎めない人たちなので、この機会にその考えや人生に触れてみましょう♪
アダム・スミス(1723-1790)
経済学を勉強する人が避けて通れないアダム・スミスさんはこんなお顔をしています👇
鼻が高い素敵な横顔のアダム・スミスは18世紀後半にイギリスで活躍した経済学者で経済学の父と言われています。これまで経済学に馴染みがない人でも名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。

- アダム・スミスの生涯
【誕生~20代半ば】
スコットランドの海沿いの街に生まれる
グラスゴー大学で道徳哲学を学び、その後オックスフォード大学へ進学・中退
【20代半ば~40代半ば】
グラスゴー大学で教鞭をとり、その後学部長に選出
👉後に「私のこれまでの人生の中で最も幸せで名誉ある時期であった」と振り返る
グラスゴー大学を辞職後、貴族の家庭教師として欧州を旅行
👉その間にフランスの啓蒙思想の重鎮とも親交をもつようになる
【40代半ば~晩年】
帰国後は執筆活動に専念し「国富論」を出版、グラスゴー大学の名誉総長に就任
エディンバラで病死

幼少期は内向的で病気がちだったそうです。オックスフォード大学を中退していますが、 怠けていた訳ではなくグラスゴー大学と比べて古い教育に物足りなくなったとのこと!独学で様々な学問を学んでいたこともあり、28歳の若さで教授に就任するほど優秀だったんです⭐
- アダム・スミスの生きた時代
18世紀後半といえば産業革命真っ盛り。それまで農業が主要な経済活動でしたが、農業技術の進歩と人口増加により余剰労働力が生まれ、技術革新も相まって繊維業や鉄鋼業を中心に工業化が推し進められていきました。イギリスから始まった産業革命は、のちに世界各国に波及しグローバル経済システムの形成へと繋がっていきます。
農村から都市部へ人口が流入する一方で、労働環境の整備が追い付いていなかったり、急増する人口に耐えうる住宅などの生活インフラの構築が不十分で貧富の格差などの新たな問題も生まれてきた時代です。 - アダム・スミスが唱えた学説
アダム・スミスの有名な著書「国富論」では、社会の富とは労働によって生産される消費財であるとされました。その富を最大化するために、という流れで主に以下の内容が記載されています。総じて資本主義を後押しするものになっており、彼が社会経済に与えた影響は計り知れません。
①労働生産性を上げるには分業が必要
運営管理や事例Ⅲに取り組まれたみなさまなら頭に浮かばれる通り、分業して単純作業を分担すれば作業効率が上がるということです。現代であれば多くの人の頭に浮かびますが、工場生産の効率化がまだまだ進んでいなかった産業革命初期において、この考えは画期的でした。また、分業によって生産が効率化され、余剰生産物が発生することで資本の蓄積が出来るとも述べられています。まさに資本主義ですね!
②重商主義の批判
当時の経済政策で主流だったのは、他国へと輸出して金や銀をもっていることが国富最大化の方法だとする重商主義でした。なお、重商主義では輸入すると金や銀は他国に流出するため国を貧しくすると考えられていたのです(保護関税や産業保護に積極的)。現代ではこれがワークしないことは想像に難くないと思います。この点からアダム・スミスは現代の私たちと似た感覚を持っていたためか、輸入制限や輸出奨励金などを過度に行うことに批判的でした。重商主義政策の中で窮屈な思いをしていた資本家からすると強力なサポートとなる説だったでしょう。なお、ここから派生したのがリカードの「比較生産費説」です(絶対優位と比較優位、不安な方はお手持ちのテキストで確認してください!)。
③見えざる手
いわずと知れた「見えざる手」ですが、Wikipediaによると国富論でこの単語が出てくるのはたった1回だそうです!こんなに有名になっているとはアダム・スミス本人が一番驚いているかもしれません(笑)人々が利己的に行動する自由競争こそが社会全体の利益の最大化に繋がると考えていました。 - Tips
アダム・スミスは経済学については自由放任主義でしたが、教育(読み・書き・計算)は国が責任をもって行うべきであると主張していました。分業を行い、単純作業を行うだけでは人間らしさが奪われてしまうと考えたのです。自身が述べた学説から生まれる弊害に目を向けた主張を展開するのは、多角的な視点を持っている証拠ですね!
また、死ぬまで国富論を改訂し続けたとも言われており、探求心の強い人物だったことが分かります。
ここで彼の残した名言もご紹介します☆
The real tragedy of the poor is the poverty of their aspirations.
貧しさの真の悲劇は、希望を持つことが出来ないことだ。
アダム・スミスは経済学者であるだけでなく、多くの思想家との交流を積極的におこなった哲学者でもあります。お金があるかないかがその人の貧しさを決めるのではなく、自分がどうなっていきたいという将来に対しての希望を持っていない人が真に貧しい、というのはいかにも彼らしい言葉だと思います。
Adam Smith
アルフレッド・マーシャル(1842-1924)
アルフレッド・マーシャルは、みんな大好きわたしは全くもって仲良くなれなかったマーシャル的調整過程に名前がついていることでお馴染みの新古典派の経済学を代表するイギリスの経済学者です。彼が影響を受けた人物としてはテキストで近くに出てくる「ワルラス的調整」のレオン・ワルラスがおり、教え子には「ピグー税」のアーサー・セシル・ピグーと、後ほど紹介するジョン・メイナード・ケインズがいます。

- マーシャルの生涯
【誕生~20代半ば】
ロンドンのベルモンジーという町に生まれる
教育熱心な父親のもとで育ち数学の才能が開花、ケンブリッジ大学に進学
ジョン・シュチュアート・ミルの「自由論」に感銘を受け経済学の研究へと転向、ケンブリッジ大学で教鞭をとる
【20代半ば~40代半ば】
教え子であるメアリ・ペイリーと結婚
女性と労働者階級の教育に力を入れていたユニバーシティ・カレッジ・ブリストルの学長に就任
【40代半ば~晩年】
マーシャルの主著となる「経済学原理」第一巻を出版
20年以上構想を練りながら「経済学原理」の第二巻の作成を行うも未完のままこの世を去る - マーシャルの生きた時代
彼が生きた19世紀半ばから20世紀初頭は「栄光のヴィクトリア時代」といわれるイギリス資本主義の最盛期です。「世界の工場」という言葉に表されるように自由貿易体制などが確立され、イギリスは世界経済の中心的役割を担っていました。一方で、労働者階級の生活は決して豊かではなく貧困に苦しむ人々も多くいました。マーシャルは実際に貧困街を訪れ、そういった人々のために経済学を研究しようと決心したのです。

マーシャルは、現実から乖離した経済学を単なる暇つぶしと痛烈に批判しました。
実際に貧困に苦しむ人に会い、彼らを助けたいとの強い思いで経済学を研究していた裏返しとも言えますね。
- マーシャルが唱えた学説
①需要曲線と供給曲線
古典派経済学では「労働」価値説を主軸としており、財の生産と供給にかかるコストがその財の価格の決定要因になる(雑にまとめると、供給された財は価格を下げればすべて売れる)と考えられていました。これに対しマーシャルは、現実には自然的均衡状態に到達するのではなく、需要と供給の両方を反映して価格が決まると述べました。ミクロ経済学の基本のキです!マーシャル的調整過程…復習したくなってきましたよね??ぜひ14代目はっしーさんの記事でビジュアル含めて覚えましょう☆
👉【経済学】ビジュ合わせ!イメージで覚える経済学の基本のキ byはっしー
②価格弾力性
みなさんが何度も出会う価格弾力性の理論もマーシャルが打ち出したものです。価格が変化した時に需要量や供給量がどの程度変化するのかを示したもので、詳細の説明は割愛しますが、曖昧な方は12代目masumiさんの記事でばっちり理解しましょう!!
👉【渾身】需要の価格弾力性の計算を秒殺する by masumi
③生産者余剰と消費者余剰
これも毎年頻出論点ですね。
消費者余剰:消費者が支払っても良いと思う金額-実際に支払う金額
生産者余剰:実際の販売額-生産に必要な費用
これを覚えている方は多いと思います。マーシャルはここから、所得の絶対金額よりも所得から何が得られるかが重要であると唱えました。基礎から分かりやすく解説くださっている13代目くまさんの記事のリンクを貼付しますのでぜひこちらもご参照ください♪
👉【経済学】超基礎からの余剰分析 by くま - Tips
マーシャルは教え子だったメアリ・ペイリーと結婚をしましたが、彼女自身も優秀な経済学者で夫婦共著で「産業経済学」という本を出版しています。この本が大きな反響を呼び、彼は名声を得ることになりました。夫婦で高めあえるなんて理想の関係性ですね!
また、マーシャルもアダム・スミスと同様に教育を重視していました。経歴の中からもその関心の高さが伺えますが、初等・中等教育は国家の責任において行うべきだと提言しています。経済学者の専門領域だけに留まらず社会を良くするためにあらゆる提言をするエネルギーに脱帽です。
Cool heads but Warm hearts.
冷静な頭脳、されど温かい心
この言葉は彼がケンブリッジの学生たちをロンドンの貧民街に連れて行った時のものだそうです。経済学を学ぶには理論的に物事を解明する冷静な頭脳を必要とする一方で、階級社会の中で苦しむ人々を何とかしたいという温かい心が必要だ、ということを伝えたかったのです。
Alfred Marshall
ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)
ジョン・メイナード・ケインズは20世紀を代表するイギリスの経済学者、みなさまから見るとAS曲線をポキッと折った人です(この表現、伝わりますか??笑)。失業に関する理論を確立しマクロ経済学を深化させ、各国の経済政策に大きな影響を与えた有名すぎる人物です。

- ケインズの生涯
【誕生~20代半ば】
イギリスのケンブリッジにて誕生、ケンブリッジ大学の経済学者の父を持ち非常に裕福な家庭で育つ
ケンブリッジ大学でマーシャルから経済学を学んだ後に、官僚に(👉官僚試験にはなんと2位で合格!)
【20代半ば~40代半ば】
官僚をやめてケンブリッジ大学の研究員や経済誌エコノミック・ジャーナルの編集長として活動
大蔵省に入省し主席代表として第一次世界大戦後の「パリ講和会議」に参加
【40代半ば~晩年】
代表作「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表
イングランド銀行理事に就任する
第二次世界大戦後の通貨や金融の枠組みを構築する国際会議であるブレトンウッズ会議に首席代表として参加するなど晩年まで精力的に活動

びっくりするくらいのエリート街道!!!
- ケインズの生きた時代
華々しい経歴を紹介しましたが、ケインズが生きたのはまさに激動の時代です。社会人になりしばらくすると第一次世界大戦が勃発し、ソビエト連邦や中国共産党の誕生、そして全世界を震撼させた世界大恐慌を経て第二次世界大戦へと突入していきます。これまでの古典派経済学に支えられた資本主義の考え方では、市場に任せておけばよくなる、とされていたのが全然そんなことにはならない、という事態に直面しました。今回は紹介しませんでしたが、カール・マルクスという経済学者の考え方から生まれた社会主義・共産主義国家の誕生もありながら、ケインズは資本主義国家で起きる大不況についてその解決策を見出すことに注力しました。 - ケインズが唱えた学説
①有効需要の創出
先ほどの通り、市場に任せていたら経済は不安定になることを目の当たりにしたケインズは、不況に陥り失業者で溢れてしまった世の中に対し、失業率を下げるためには政府が財政政策(政府が公共投資や減税を行い消費を促して景気を好転させること)を行い総需要を増やせばよい、と唱えました。これは、それまでの経済学で前提とされていた供給が需要を作り出すという説(セイの法則)を否定し、需要が供給を作り出すという考えのもと生まれました。
Y:有効需要(総需要)=C:消費+I:投資+G:政府支出+(EX:輸入ーIM:輸出)
マクロ経済学でお馴染みの式ですね!ケインズが示した式を用いてみなさんは過去問を解いているという訳です。
②乗数理論
それでは①の有効需要を生み出すための公共投資は、社会経済にどの程度影響を与えるのでしょうか。これを説明するために用いられたのが乗数理論です。公共投資をすれば投資と消費が刺激され政府が支出した以上の国民所得の増加に繋がると考えました。その際、政府にお金がないのであれば借金(国債の発行)をしてでも公共投資を行うべきとも提唱しています。
実際、ケインズに影響を受けたアメリカのニューディール政策では、テネシー川流域開発などの公共工事が積極的に行われました。
よく言われますが投資乗数、政府支出乗数、租税乗数は均衡国民所得の式から変形して示せるようにしておきましょう!大小関係は以下の通りでしたね♪
投資乗数=政府支出乗数>租税乗数
③限界効率理論
投資に対する利子率の影響を示したのが限界効率論です。投資を1単位増やした際に発生すると予想される収益について述べられています。ざっくりで言うと、金融機関の金利よりも投資の利回りが高ければ企業は事業投資を行いますよね。ここから、景気が悪い時には金利を下げれば投資が実行され、景気回復に繋がることになります。日本でも行われた金融緩和政策を裏付ける理論を唱えていました。
ふわっと背景を知ってもらえたところで、ケインズを含めたマクロ経済学の理屈をがっつり解説してくださっている3代目こぐまさんの記事で苦手意識を潰しておきましょう!
👉【経済】GWで苦手つぶし~暗記より理屈 - Tips
ケインズの交友関係は幅広く、芸術家たちとも繋がりをもちパトロンとして支援を行っていました。その中で培った芸術の審美眼を通して収集された絵画は135点にのぼるそうです!また、戦争により生活に困っている芸術家への支援を充実させる政策もとりました。この辺りは流石のお育ちの良さが出ているところですね。
The difficulty lies, not in the new ideas, but in escaping from the old ones.
難しいのは、その新しい発想自体ではなく、古い発想から逃れることだ。
古典派経済学の前提を疑い、目の前の苦境を打開するために経済学を研究したケインズの信念が伺える言葉です。中小企業診断士として経営者の相談に乗る場面でも、日々のお仕事に向き合うなかでも通ずるものがあるのではないでしょうか。
John Maynard Keynes
ご参考:ジョン・メイナード・ケインズ – Wikipedia
ミルトン・フリードマン(1912-2006)
最後にご紹介するのは20世紀後半に活躍したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンです。映画俳優のような渋くて素敵な写真ですね🌟彼もケインズと同様に世界経済や各国の政策に多大なる影響を与えた人物です。

- フリードマンの生涯
【誕生~20代半ば】
ニューヨークで誕生、ユダヤ系移民の家庭に生まれ当時は公的支援はなく裕福ではなかった
読書や勉学に心血を注ぎ大学では飛び級
世界恐慌の惨状を目の当たりにしシカゴ大学院で経済学を専攻
連邦政府の国家資源委員会に就職(ケインズ提唱の公共投資拡大により創出された職)
【20代半ば~30代】
財務省に入省し源泉徴収税制度の導入などに関与
コロンビア大学で博士号を取得
【40代~晩年】
リチャード・ニクソン政権下で変動相場制を提案
ノーベル経済学賞など数多くの賞を受賞

まさに努力の人だね!!
- フリードマンの生きた時代
多くの国がケインズ経済学を採用するなか、1970年代はオイルショックによる急激な物価上昇と経済停滞(失業率が高い状態)が同時に起こるスタグフレーション(stagnation:停滞とinflation:物価上昇を合わせた言葉)に悩まされていました。需要が変わっていないのに供給が減り、価格高騰が続く状態にケインズ経済学では対応が出来ませんでした。 - フリードマンが唱えた学説
このような状況下でフリードマンが主張したのはケインズとは真逆であり、アダム・スミスと似ていたので「アンチ・ケインジアン」や「現代のアダム・スミス」とも呼ばれていました。
①マネタリズム
フリードマンは、経済の安定を図るためには中央銀行が通貨の供給量を操作することが重要であると唱えました。お金の量を増やしたり減らしたりすることで物価や失業率をコントロールできると考えたのです。1980年代にアメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権がこの考え方を軸に政策を打ち出しています。いわゆる公開市場操作ですね。売りオペ、買いオペの内容とその効果、復習しておいてください♪
公開市場調査:中央銀行が市中との債券の売買を通じでマネタリーベースの量をコントロールすること
②新自由主義
著書「新主義と自由」の中で「新自由主義」という考え方を提示しました。その内容は、経済・社会への政府の介入は最小限にすべきである(いわゆる小さな政府)というものです。具体的には、義務教育・郵便サービスなどを国有化するのではなく民営化すべきだと主張しました。郵政民営化…まさに日本で実行されましたね!ただし、①の通り中央銀行は経済に関与すべきとしており無政府主義者ではありませんでした。 - Tips
実はフリードマンは日本にゆかりのある人物で1982年から1986年まで日本銀行の顧問を務めていたんです!1990年にイタリア経済誌の取材に対して「東京株式市場は健全とは思えない」とコメントしており、バブル崩壊を予想していた…のかもしれません。
Only a crisis – actucal or preceived – produces real change.
真の改革は危機的状況によってのみ可能である。
フリードマンはスタグフレーションを念頭この言葉を発したのかもしれませんが、コロナ禍など未曾有の事態を経てさまざまなことが変わっていったように危機的状況で改革がなされるのはいつの時代も同じなのだと思います。危機に直面した時には古い考え方に固執せず改革が求められる、と解釈するとケインズとも通ずるところがあるようにも思えます。
Milton Friedman

ちょっと名言多すぎひん??何を伝えたいかぼやけるんちゃう??
良いこと言ってる人ばかりだったからどうしても紹介したくて乱発してしちゃった。。。

さいごに
いかがだったでしょうか??随分と世界史の講義の香りが漂っている回になりましたね笑
非常に優秀な経済学者たちでも仲間と議論を重ねたり、時代によって見方を変えて先人の考えに一石を投じたりしながら社会をより良くするために研究を重ねてきたんだなぁ、と感じていただけていれば嬉しいです!
過去問を解く際に、こういった学者たちもグラフを動かしながらあーでもない、こーでもないと考えていたと思うと少し楽しくなるかもしれません♪
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明日はお休みです。
次回は最近キャラが立ってきたじょにーです!!
診断士試験って略語がたくさん出てくるよね??
R・K・I☆
(略語を攻略して一発合格☆)

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こんばんは!にっくです。
提唱した人の人となりを絡めると、機械的に勉強していた経済学の内容も色づいて見えて、楽しくなりますね!
ありがとうございました!
にっくさん
コメントありがとうございます。試験でダイレクトに問われる可能性は極めて低いですが、その理論に至った背景は学習の効率化になると思い記事にしました。
少しでもお役に立てていれば嬉しいです。