なごの独り言 ~最終章~
先日、合格した同期で集まる機会があった。合格してちょうど1年。一年前は全く面識すらなかったライバルたちは今、かけがえのない戦友である。昨年1月に先代の合格者が企画してくれた合格祝賀会で出会ってからというもの、実務補習やいろいろなイベントで何度となく顔を合わせた仲間たちとは、もう何年も前からの旧友にすら感じられる間柄だ。
それにしても診断士は実に変わった資格。年齢はもとより、携わる業種、職種、そして境遇もバラバラ、そんなメンバーが一堂に会し、全く同じ目線で会話している特異な空間である。
今日もまた、これまでに数回幹事を務めてくれた仲間が
「そろそろみんなで会いたいね」
と飲み会を企画してくれた。やはり持つべきものは友達だ。ざっと集まったのは十数人、名古屋地区での合格者数の規模を鑑みれば、それなりの人数、嬉しい限りである。
実はこの日、私はずっと温めていた企画があった。それは同期合格者I君の結婚祝い。Facebookで結婚していたことは知っていたけれども、なかなか会える機会が無く、お祝いする機会を逃していたのだ。せっかくだからみんなの前で披露してもらい、祝福出来たらとひそかに心に思っていた。
最初の乾杯が終わり、歓談となったところでみんなに近況報告の話をしてもらおう、私とちょうど反対の席にいるI君は、順番で行くと終盤での報告になるはずだ。「結婚しました」と言えば、みんなで「わぁー」となるだろう。
まああえて軽い感じで、私が手を挙げ、まるで単なる思いつき企画のように「勝手に近況報告タイム」は始まった。一人一人が即興での近況報告会。みんなI君の結婚話に行くまでの前段に使ってゴメン。
でもここで想定外のことが起こる。
とりあえず隣に座っていたA君に話を振ると、
A君「この前、結婚しました」
あれ、もう一人結婚した人がいたんだー。
B君「転職して仕事が変わりまして」
そういえば、この前Facebookに書いてあったなぁ。しかもランクアップ。
C君「先日、家を買いました」
あれ、君はまだ若いよね。
D君「会社を辞めて独立しました」
おお、同期で独立第一号だー。
まだ4人しか近況報告していないのに、オイオイ、みんな人生変わりすぎやろ。人生の転機ってそんなにいっぺんにやってくるものだったっけ?この一年でこれだけの変化は、人生における歩みの転換確率が高すぎじゃないのか?
改めて考えてみれば、診断士を目指すメンバーの多くが30代から40代であり、人生の岐路を迎えている可能性が高いことは確かである。誰しもが様々な想いを持ってこの診断士試験に臨んでいることも一つの要因としてはあるだろう。また勉強に集中していたあまり、人生のイベントを少しだけ後ろ倒しにしていた結果、合格してからやっとの思いでいろいろなことに取り組み始めた人もいるかもしれない。
でも、それにしても変化している人が多すぎるのである。
実は私も合格を転機に、子会社から本社経営企画部に異動になっている。自分の中では結構なランクアップと思っていたけど、でもそんな話題、まわりの人たちと比較したら、完全に霞んでいたなぁ。
そんな想いでしばらく近況を話す仲間の表情を眺めていたのだが、ある瞬間、ふと気が付くことがあった。皆の表情、誰しもがすごくすがすがしい表情をしているのだ。なんと表現していいのか分からないのだけど、自分の中に自信を持っている表情、人生、前を向いている表情とでも言おうか、そんな感覚を受けたのだ。みんなの人生が変わった理由がわかる気がした。
一年前、確かに合格して初めて出会った時のみんなの表情は明るかった。でもその時の表情は安堵というか、ホッとした嬉しさがにじみ出ている表情、という感じがしたのだ。でも今は違う、実務補習を経て、曲りなりも診断士の端くれとして名刺に「中小企業診断士」と表記し、行動してきた自信が皆の表情に現れている。
当然ながら、I君の近況報告は、周りと“同程度”のサプライズ発表であり、周りと“同程度”の祝福をされていた。決して盛り上がらなかったわけではないが、周りが”同程度”にすごすぎた。ホントみんなすげぇや。
思えば6年前、福島の地で震災に遭ったのが、私にとってすべての始まりだったのかもしれない。店長として店を任されていた自分は、仕入れ先の皆が被災している姿を見て、自分の無力さに苛まれていたことを今でも思い出す。「福島の食べ物は何を食べても美味しい」「美味しさを思い出してくれれば、みんなが福島に戻ってきてくれる」そう信じて店頭に立ち、商品を売った。でも身体は一つしかない。自分ひとりにできることなんてたかが知れている。
一つでも多くの方に福島のものを買ってもらえるアイディアは無いか?
福島にたくさんある魅力的な商品の良さをどうお客様に伝えたらよいのか?
自分の力に限界を感じ、自分の非力さ、知識の無さに愕然とし、何か自分の糧になるものを見つけて努力しようと心に決めた。その時は何をすればよいのかすら分からなかった訳だけれども、今思えば診断士との出会いに至る序章だったのかもしれない。あの時の想い、今も忘れてはいない。
今、私は診断士という資格を手に入れ、そして同じ仲間である診断士の皆と出会うこと会出来た。ほんの偶然に過ぎないのだが、会社では経営企画に在籍しながら、並行して人材教育にも携わるようになった。微々たるものではあるが、人の成長をサポートする役目を担うようになったのである。
また仕事の傍らではあるが、実務従事で出会った社長に気に入ってもらい、以後、コミュニケーションを交わす間柄にもなれた。私からのアドバイスなどとはおこがましいかもしれないが、自分自身の経験談をもとに感じたことを話すことが、社長には大変喜んでもらっているようだ。
一人ではできることが限られる。その解決方法が見つからないまま、これまで全力で走ってきた。
そんな中、ふと多くの人の”背中を押す”ことに携わることで、たくさんの幸せをたくさんの場所で醸成することができることに気が付いたのだ。
また自分だけでなく、多くの仲間が、多くの”どう行動して良いのかわからない”人たちをアドバイスすることで、将来実行すべき道筋を見つけることができる。
ひとつのアドバイスがひとつの成功を生み、さらに多くの幸せの花が咲く。
もしかして俺のやりたかったことはこれだったのかな。
六年前に感じた自分自身への無力感、少しは越えることができた気がする。
そして診断士を目指す多くの人もまた、人を支援することで得られる満足を求めているのではと思う。改めてすごい資格に出合ったもんだ。
改めて考えてみると、このブログで執筆することを許され、一年間、たわいのない文章であるが書き続けてきたわけであるが、これも、一人でも多くのヒトに診断士になってもらい、一人でも多くの世の中の皆さんに笑顔になってほしいからという、自分の想いが根底にあった。
そんなことを考えて過ごした一年間ではあったが、今回が私にとっては29回目の記事、我ながらよく続いたものである。たいした内容を書けたわけではないが、それでも毎回、自分自身の中でいろいろな意図を持って書くことができたのは、誰のためでもない、自分自身がブログを読んでくれる人たちの笑顔を見たかったからなのかもしれない、今はそう思います。
このブログは、猛烈に診断士の勉強を行っている人もいれば、まだ勉強を始めようか迷いながら読んでいただいている人もいるでしょう。少なくとも将来、診断士になり、中小企業の社長をはじめとする多くの人ために活躍する人材の皆さんが立ち寄ってくれている場所であると認識をしています。
また合格した人でも、受験時代からの日課として読んでくれている人もいるかもしれないですね。
私は、このブログを読んでいる全ての人(合格しているか否かに関わらず)は、皆が診断士としてまだまだ成長の途中の状態であると考えていました。なぜならばこのサイトの私なりの定義として、読み手の皆さんが何かしらの知識、学びの方法、モチベーションアップなどをブログ内に求める場所と位置づけていたからです。
そして読者の皆さんが、自分の中で学び、モチベーションを個として確立できたとき、診断士としてこのサイトから巣立っていく。そう考えていました。
ブログの外、日常にある学びの世界は無限です。一次の知識としてx軸を伸ばし、二次の思考というy軸の領域を広げ、実務や日常業務など実践の場でz軸を拡大する。このキャパシティの増大は、決して単独でなく、すべてが同時進行で成長出来ると考えています。一次の勉強をしながらでも、その知識を使って職場内で会社を成長させるために機転を利かせる努力をすることはできるし、二次の勉強をしていても一次の知識を意識して使いつつ、自分自身に定着させることは可能。
何より合格したらかといって、あんとんとしていれば、xyz軸の長さは全て減少し、自らの実力の体積は減少する一方です。逆に普段の生活の中で、診断士として切磋琢磨すれば、すべての方向に実力は拡大し、自らの持つ体積は無限に増大するでしょう。それが人間としての器と言えるかもしれません。
さあ、今日で筆をおく私にとって、明日から何ができるのだろう。どの力を伸ばそうか。ワクワクする限りです。
さて、もうしばらくすると7代目の皆さんが次の一年間の執筆に入ります。これまでにも増して個性派ぞろい(?)の執筆陣だと聞いていますので、新たな学び、気づきを提供してくれるはずです。そんな彼らに期待し、道場のバトンを渡したいと思います。
最後に。
私の拙い文章を読んでくれた皆さん、本当に一年間ありがとうございました。またコメントを書いてくれた方々、皆さんの一言一句が執筆の励みになりました。本当にありがとうございます。
さらに今年は名古屋、大阪で3回ずつセミナーを開催したわけですが、会場にお越しいただいた皆さん、私の拙い説明で大変恐縮ではありましたが、ひとりでも熱意を感じていただけたらと思い実施していました。皆さんとの出会い、本当に嬉しかったです。それにしても「大阪でも開催してほしい」というコメント一言で、よく3回も行きましたね。賛同してくれた和尚には感謝の言葉しかありません。
また先代の皆さん、陰ながら支援していただきありがとうございます。6代目がここまで来れたのも皆様のおかげです。
最後にこのブログを読んでいただいている皆さんへ。
診断士、合格したらメッチャいろんな経験が出来るよ。
皆さんの吉報を待っていますからね。
そしてまたいつか、お互い診断士として会いましょう。
ひとりでも多くのヒトを笑顔にするために。
なごでした。
すくすく様
ありがとうございます。安達太良の素晴らしさがここで通じるとは思いませんでした(笑)
診断士の最も大きな役目は中小企業の社長の皆さんに、自分たちの強みを気付かせ、実施する具体策を見つけさせ、そして勝ち続けさせる素晴らしさを知ってもらうことだと思っています。
私が「この○○、めっちゃ美味しいね」と言っても、「それいつも食べてるし、その味が普通」とそっけない。自分たちの良さ、十分差別化できている魅力を私たちが教えてあげれば、もっともっと良さが広がると考えています。
何年か前に見たのですが、「自分の県が好き」ランキングで福島は40位以下。一位の沖縄、二位の京都まではいかないまでも、上位ランクして良いくらいの魅力がいっぱいあります。
もしすくすくさんが、彼らの助けになるならこんなに嬉しいことはありません。
ほんと頑張ってくださいね。心から応援しています。
なごさん、コメントありがとうございます。
安達太良山も豊富な水が潤す大地も本当に美しい福島の地。果物も豚肉も美味しいし、なごさんもきっと、福島のひとと商品の魅力を感じ、伝えようとしたのだと心を打たれました。
自分も仕事で東北に関わり、行くことがあります。合格できたら、実務補修を東北で受け、自分の地元だけでなく、東北の人や企業様が望んでいることをかなえるため、診断士になったら少しでもお手伝いをすることができればと考えております。
すくすく様
いつもコメントありがとうございます。私も一年間、すくすくさんと同じ思いをもってブログ執筆してきました。気持ちが通じているようですごく嬉しく思います。
二次試験、大変なハードルではありますが、得るべきものも多いと感じています。
執筆は今回で終わりますが、すくすくさんの吉報、お待ちしていますね。遠くから応援しています。
なごさん、こんばんは。
ほんの少しのところで合格しなかったからこそ、今の学びを得られることを、学ぶことのできる機会ととらえて、自分の足りないところ(4事例のうち3事例がB判定)を吸収していきたいです。
だれかの悩みを聞き、その解決のために知恵を絞ることができ、ほんの少しでもお手伝いができることがうれしいから、企業診断の知識やロジックを学んでいるし、未来に希望を持ち続けていられるのだと思います。社会やひとのしくみを、参加する人ひとりひとりが突き止め、だれかの未来のために生かす力を問う診断士試験。ひとの思いや尊厳や多様性を大切にできる、そんな仕事のできるひとを目指して、今年の2次試験に向けた学びを進めていきたいと思います。