禅と中小企業診断士 by AZUKI
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はじめに
こんにちは、AZUKIです。
今日は一発合格道場 慰労会 事例Ⅵ(大阪)の日ですね!
この間、ZOOMで事例Ⅴを行いましたが、皆さんとのお話が楽しすぎて、2時間があっという間でした。やはり診断士試験の話は話題が尽きないですね。今宵も非常に楽しみです!
来週11/16(土)の事例Ⅶ(東京)はまだ空きがあるようです。少しでも参加しようか悩んでいる方、絶対行った方がいいです!
診断士になったら飲み会漬けになる(※個人の感想です)ので、今のうちから練習(何の?)しておきましょう!
それと、慰労会に向けて、先週セルフ模試ならぬセルフ本試験を行いました。
いや~マジで難しかったですね。この1年間、何やってたんだろうって感じです。
80分ってこんな短かったでしたっけ? もうちょっと余裕あった気がするのですが、事例Ⅰから危うく時間切れになるところでした。
事例Ⅱも事例Ⅲも、個人的には過去最凶と言っていい難易度だと思いました。事例Ⅳは、元から時間足りないのである意味いつも通りだと思います。
素点で240点を超えるのはかなり難しいのではないでしょうか。とはいえ、相対評価の試験なので、結局は自分と周りの出来次第です。
出来なかったと思っても諦めずに、吉報を待ちましょう!
本編
さて、皆さんは2次試験の問題を解いているときに、「まるで禅問答のようだ」と感じたことはないでしょうか。
問題文が何を問うているのかわからない、問題にどう答えればいいのかわからない、そもそも試験問題の答えが公表されない。中小企業診断士試験特有の、この3つの要素が禅を連想させます。
実際、2次試験の問題は禅問答と同じなのか?気になりませんか?
気になりますよね。この記事を開いてるってことはそういうことですもんね。
その疑問に、茶道を習って20年の僕がお答えしましょう。
はい、2次試験は禅問答と同じです。
・・・とは主語が大きすぎてよう言わないですが、かなり近しいのは確かだと思います。
そう思ったきっかけですが、今年の6月頃、京都 大徳寺大慈院の戸田惺山(とだせいざん)住職による、禅の講話を聴く機会がありました。
内容は「十牛図」という、十二世紀に中国の禅僧・廓庵師遠(かくあんしおん)によって作られた、とある若者が悟りを開くまでのストーリーを10枚の絵で表したものの話です。
十牛図では、「悟りを開くこと」を「牛を捕まえ、手懐けること」に置き換えています。理由は、インドで牛が聖なる動物であるからだとか、中国で牛が生活に身近な動物であるからだとか、諸説あるみたいです。
1時間半程度の講話だったのですが、この話を聞き終わったあと、
禅と中小企業診断士って同じじゃん!
と思ったんですよね。
今日はこの十牛図を「診断士試験の勉強開始~診断士として大成するまで」のストーリーに見立てて解説します。
牛!?私の出番か!?!?
ブ、ブル先輩は既に自分を貫いていらっしゃるので、今回の記事には合わないかと・・・(この人、キャラが強すぎて記事が乗っ取られそうなんだよな・・・)
Special Thanks
今回、この記事を書くにあたり、戸田惺山住職に十牛図の資料引用の許可をお願いしたところ、快くご承諾をいただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。戸田惺山住職、ありがとうございます!
1.尋牛(じんぎゅう)
昔々、あるところに一人の若者がいました。
若者は、生活に困っていたわけではありませんが、自分の人生に物足りなさを感じており、何者かになってみたい。そんな思いを抱いていました。
そんな中、若者は中小企業診断士という資格の存在を知ります。中小企業診断士には、人生を変える力がある。そんな話を聞いて、若者は中小企業診断士を目指そうと決心します。
ここで大事なのは、診断士を目指そうと思ったきっかけは別に何でもよいということです。
皆さんが診断士を目指そうと思ったきっかけは様々だと思います。自己啓発や、独立のためという方が多いと思いますが、中には「なんとなく」の方もいると思います。
たまに、「自分は他の受験生と比べて大層な理由もなく、なんとなくで診断士を目指しているけどこれでいいのだろうか」と悩まれている方がおられます。
全然、それでいいんです。
中小企業診断士になろうと思ったことそのものが、大事なのです。
2.見跡(けんせき)
若者は、中小企業診断士になるために勉強に取り組みます。
しかし、勉強は思うようにいきません。「中小企業診断士として助言せよ」という問いに、どう答えればいいのか? 皆目、見当もつきません。
ただ、試験に合格し、中小企業診断士として活躍する先人たちがいるのは確かです。
若者は、参考書や道場ブログなど、先人たちが残した足跡を参考に、中小企業診断士としての知識や考え方を身につけようとします。
しかし、勉強すれどもすれども、中小企業診断士に近づく実感はありません。
3.見牛(けんぎゅう)
若者は、一心不乱に勉強を続けます。
そうすると、SWOT分析や財務指標の分析など、できることが少しずつ増えてきます。
暗中模索だった世界に、一筋の光が見え、一縷の希望が湧いてきます。
若者は、悪戦苦闘をしながらも、少しずつ「開眼」に近づいていきます。
開眼とは?
「そうか!問題はこういうことを聞いているのか!」「こうやって解けばいいのか!」と分かる瞬間が訪れる時のこと。当道場ブログでも毎年誰かが開眼について深堀した記事を書いており、15代目はしんが↓の記事を書いています。
4.得牛(とくぎゅう)
若者は、勉強を続けてるうちにだんだんと自信がついてきて、試験に合格できそうな気がしてきます。
しかし、初見の問題だったり、少し捻られた問題になると太刀打ちできず、また自信を失います。
与件文を繰り返し読む、同じ過去問を何度も繰り返す、他の人の解答を読み漁る。そして過去問だけでなく、世の実在の企業にも目を向けてみて、「診断士脳」を作り上げます。
診断士脳とは?
普段の自分ではなく、診断士として『中小企業の戦略・方向性』を意識して物事を考えること。開眼と同じく、当ブログの話題に度々上がります。
5.牧牛(ぼくぎゅう)
若者は、診断士としての知識、フレームワークを使いこなせるように、「診断士脳」で考えることを習慣化します。
近道はありません。地道に勉強、普段の意識付けを続けます。本当にこのやり方で試験に合格できるのか。その答えは、試験が終わるまでわかりません。
仕事や家庭があり、思うように勉強が進まない日もあります。しかし、2次試験当日まで、ストイックに学習を積み重ねます。
6.騎牛帰家(きぎゅうきけ)
若者は、仕事の時間、趣味の時間、家族との時間を切り詰め、診断士の勉強に身を捧げた結果、ついに「開眼」に至ります。
診断士としての実力を身につけることができ、とうとう試験に合格することができました。
何百時間、何千時間の勉強をしてきたのです。嬉しくないわけがありません。
「診断士」の肩書を手に入れ、気分はとても晴れやかです。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)
若者と牛は一体化し、若者はもう「中小企業診断士を目指す人」ではなく、「中小企業診断士」となっています。
しかし、「中小企業診断士」になったその先には何があるのだろう?
若者は、その問いには答えられませんでした。
あれだけ憧れていた中小企業診断士になったのに、まるで心の中にぽっかりと穴が空いているようです。
中小企業診断士の受験を決心したのは、自己啓発、独立、何となく、様々な理由があるはずだと尋牛の項で述べました。
私たちも、ここで改めて「なぜ中小企業診断士を目指したのか」を自分自身に問いかけ、自分が中小企業診断士の受験を決心したその日から、今日までのことを振り返ってみます。
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
若者は「中小企業診断士」であり、「中小企業診断士」は「若者自身」となっています。
成長した自分自身が、今何を感じるのか。そして、この先どうしたいのか。
診断士は、人生に膨大な選択肢を与えてくれます。だからこそ、何度も何度も自分に問いかけて、自分の心と対話します。
仏教では、同じ行いを繰り返すことで、言葉を忘れ、自分を忘れることが大切だとされています。
無我夢中になり、自分を忘れると、ふと「これが悟りか?」と感じる瞬間がありますが、十牛図ではその瞬間すら手放してみようと説いています。
9.返本還源(へんぼんへんげん)
若者は、この先自分がどうしていきたいのか、その答えを見つけます。そして、自分自身のみならず、身の回りにも目を向けます。
家族や友人がいること、社会で働けていること、趣味に打ち込める時間があること、何の変哲もないようなことが、実はものすごくありがたいことだと気づきます。
診断士には独占業務がないから、取っても意味がない。飽きるほど聞く言葉です。
しかし、それでいいのです。生き方に正解はない、そして間違いもありません。
十牛図でも、自分という意識の縛りがほどけて、こころが自由に安らかになった結果、眼に映る自然の景色が広がり生き生きと輝き出した様子が描かれています。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)
若者は、「ありのままの自分」となり、社会に貢献する存在となります。そして、社会に貢献すると、周りの人はとても喜んでくれます。
診断士は、あくまで自分の人生を彩るためのきっかけに過ぎません。
自分の心にしたがい、人生を楽しむ。
そうすることで、社会に自然と貢献することができますし、何より心の底から自分の納得した生き方ができるのです。
おわりに
「診断士らしい仕事」といえば、公的支援や民間コンサル、研究講師を思い描く方が多いと思います。
しかし一方で、「診断士には独占業務がないからこそ、幅広く活躍ができる」とも言われています。
一見、矛盾しているように思えますが、十牛図という、いわば禅のフレームワークに当てはめると、納得ができます。
「診断士らしさ」に囚われず、自分のやりたいことで社会に貢献する。そうすると、おのずと診断士として大成できるのだと思います。
もちろんこれは僕の考えであり、全然違う捉え方をする方もいると思います。
100人が禅をすれば100通りの悟りをするのと同じで、100人の中小企業診断士がいれば100通りの仕事がある。これが中小企業診断士の面白さだと思います。
よければ皆さんの十牛図の解釈や、診断士としてなりたい姿も、ぜひコメントで教えてください!
明日はおーちゃんです、お楽しみに。
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こんばんは!
にっくです。
禅のお話、ありがとうございました!
仏教の教えには僕も心ひかれるものがあり、楽しく読ませて頂きました!
AZUKIさんの考えも言い得て妙、何か分かった気がします。
楽しくいきます!
ありがとうございました!
にっく
にっくさん
コメントありがとうございます。
日本人は無宗教とは言われていますが、なんやかんやで仏教の考え方が根付いた国民性だと思います。
にっくさんも、ぜひオリジナルの十牛図解釈をしてみてくださいね。
中小企業診断士の2次試験はとりとめがなく、禅問答のような感じがします。2次試験は今年3回目を受けましたが、合否は1月まで全くわかりません。私は、長年企画部門で構造改革、業務改革、マーケティング等を行い、2年前の1次試験では550点を取り(今年は、ほぼノー勉なので、450点くらい)、東大、簿記1級、社会保険労務士、行政書士、、、、と1発合格しているのに、中小企業診断士が合格できないのは、なぜかと自問します。予備校の模範解答は、MECE的な回答が多いですが、能力に限界があり、気持ちを持った人間が実行し成果を出すには、儲けの肝を見極め、そこに経営資源を集中しなければ、過酷な競争に勝てるわけないと思っており、国家資格試験としてどうなんだろうかと思う次第です(合格できない者の、妬み)。
9月ごろの記事で、本試験は国語の問題だと割り切るべきとの助言があり、開眼した気になり、これまでよりも手ごたえを感じています。
もし、合格出来たら、「一発合格道場」のおかげだと、今から思っています。
ゴーちゃんさん
コメントありがとうございます。
ちょうど昨日、診断士受験生の方と飲む機会があり、その際も他の士業試験との違いが話題に挙がりました。
会計士や社労士試験などと違い、答えが元々あるのではなく、答えを作り上げてゆく試験であることが診断士試験の面白いところだという話になり、その場は大いに盛り上がりました。
私も合格した今でこそ気楽にこのような記事を書けていますが、受験生時代にこの話を聞いたらまた違った考えを抱くと思います。
ゴーちゃんさんが長年経営企画の経験を積まれていること、診断士になった後はその経験を活用できる場面は非常に多いと思います。私としてはとても羨ましい経験です。
ただ、経験を積まれているがゆえに、現実と試験とのギャップがあると思います。製造業の方が事例Ⅲの模範解答を否定するような光景もよく見かけます。
私自身も勉強中に自分の解答とふぞろいの模範解答のギャップに悩んだ時期がありました。「わざわざ書かんでも常識で考えればわかるやん」と思ったことが何度もあります。
そんなある時、「与件文に書いていないことは勝手に想像しない、与件文に書いてあることがこの世界の全てだ」と思うようになってから、試験に対して素直に向き合えるようになりました。
そういった意味で、この試験は国語の試験の要素が強いのだと思います。
ゴーちゃんさんが合格していることを、私もお祈りします。
Azukiさん
先日の慰労会ありがとうございました。
診断士と禅を結びつける新たな試み?楽しく読ませて頂きました。
自身脳筋寄りなので、茶道とは縁のない生活を送ってきました。書かれてるように、合格して終わりではもったいないですね。
この先どうしたいかをしっかり考え、入廛垂手の状態のように人生を彩るきっかけにしていきます。
次のブログも楽しみにしています。
tomiさん
コメントありがとうございます。
茶道は、所作やお点前、お茶道具のみならず花や書道も修めなければならず、生涯勉強の趣味なので、診断士に向いてる趣味だと密かに思っています笑
私も、自分の人生について最近は常に自問自答の日々です。お互い、自分と向き合って納得のいく人生を送れるとよいですね。