答練や模試の結果とどう向き合うか。
こんにちは。うみのです。
すっかり陽気が春らしくなってきましたね。
桜の開花も例年より早い予測ですね。
街を染める花の色は合格を連想させつつ、ちょうどこの時期からは不安や焦りも加速度的に増していきますよね。
私も昨年の4月、予備校の前に咲いている桜を一人見上げながら、「ああ、来年は合格した自分になって、お花見したいなぁ…」と思っていました。
さて4月に入れば、本試験まで残すところ4か月ちょっと。
7科目をそろそろ一通り学び終えて、GWからは総仕上げに入っていく時期ですね。
特にT〇C生の方は、暗記3科目に入ってから「基本講義から養成答練までの期間が短すぎる…」と焦りを感じておられないでしょうか。
予備校を利用している人にとって、一定のサイクルで答練を受けられるという事は良きマイルストンとなる一方で、焦りや不安をいっそう高まらせる要因でもありますよね。
加えて、3月以降は各予備校での模試がほぼ毎月ペースで実施される時期となるので、学習スケジュールを組み立てるのも大変になっていきます。
さて、皆さんは、そうした答練や模試をどのように活用されていらっしゃいますか?
今日はそんなテーマでお話してみたいと思います。
言うまでもなく、答練や模試を受けるにあたって、皆さんが最も意識するのが「点数」だと思います。
点数というのは最もわかりやすい成果であるので、まずそこにフォーカスしてしまいがちのは当然と言えます。
60点以上、あるいは80点以上を基準や目標にしていたのに、なかなかそこに届かない…と落ち込む人も多いかと思います。
私も学習当初の頃は、よく落ち込んでいました。
しかし試行錯誤を繰り返す中で、答練や模試から学ぶべきことは、点数とは全く関係のないところにある、と思うようになりました。
点数から得られるものは、ただひとつ。
「まだまだだな。よし、もっとがんばるぞ」
と、自分を奮起させることだけです。
むろん、正解・不正解の数は、「自分の行ってきた勉強方法が正しかったか?」を検証する意味では大事な指標です。
しかし、40点だろうと60点だろうと90点だろうと、その「数字」そのものの呪縛にはまらないことが重要です。
その呪縛は、自己否定や慢心といった、合格から自分を遠ざける要素しか生み出しません。
試験に合格するために必要なのは、答練や模試で良い点を取り続けるということではなく、「自分自身」についての理解である、と私は思っています。
自分自身について知るとは、たとえば以下のようなことです。
「何がわかっていて、何がわかっていないのか」
「どういう設問に答えられて、どういう設問に答えられないのか」
皆さんはこれらの問いを意識しながら勉強されているでしょうか。
その意味では「数字」は、「自分自身」について教えてくれるものではありません。
これらについて知り続けることこそが、合格に向かう道筋になるのです。
「今、何点を取っているか」ということは、道筋そのものを作ってくれるものではありません。
そして、上記の2つの視点は、似ているようでまったく別物です。
試験においてより重要なのはどちらでしょうか?
私は後者だと考えています。
いくら知識を頭の中に蓄えていても、問題に答えられなければ意味がないからです。
答練や模試が教えてくれるのは、まさに「後者の視点から見た自分自身」です。
「自分がどういう設問に答えられて、どういう設問で答えられないのか」を知り、
「答えられなかった設問の中でも、合格に必要なレベルの設問パターンを自分のものにする」(これを私は「設問パターンをつぶす」と呼んでいました)
ために、答練や模試はあると私は考えます。
そういう意味では、答練や模試での点数が良い、というのはもったいないこととも言えます。
むしろ、点数が思うように伸びなかった時ほど、そこから学べること、吸収できることは大きいと私は思います。
目標点を掲げることは、学習計画上とても重要なことです。
しかし、その結果として思うような点が取れなくてもそこに囚われず、ぜひ「自分自身を知る」「設問パターンをつぶす」ための教材として、答練や模試の結果を活用していただきたいな、と思います。